About SHOKAKUJI
正覺寺について
ごあいさつ
拝啓
平素は、正覺寺に格別のご交誼にあずかり厚くお礼申し上げます。
さて、正覺寺ではかねてより準備をすすめておりましたホームページが完成し、下記のとおり公開いたしました。
昨今お骨の埋葬に関するお問い合わせが多く、正覺寺本堂内に「納骨所(納骨壇)」を、また後継者のない方々には「正覺寺合祀(永代供養)墓」を設立いたしました。そこで正覺寺門信徒のみならず、納骨についてお悩みの方々にもお知らせをして、広く募集をすることといたしました。
また、正覺寺に関する詳細な情報もお知らせしてまいります。ご覧いただきましたら、ご感想、ご意見をいただけると幸甚に存じます。正覺寺は今後も皆様にご理解を深めていただけるよう、ホームページの改善やコンテンツの充実に努めてまいりますので、ホームページをご覧いだきますようお願い申し上げます。
合掌
- 記 -
運用開始日:平成24年9月1日
HPアドレス: http://www.syougakuji.jp
メールアドレス: info@syougakuji.jp
正覺寺の歴史
貞観年間(860年頃) | 三寶山圓城院 創立 |
---|---|
平安期 | 中興開基 賢智の代に、真宗に改宗して三寶山圓城院を改め、三寶山正覺寺となる |
元亀元年(1570年) | 本願寺顕如上人の教書を受けて、長島願証寺一揆の軍勢に加わる |
元亀2年(1571年) | 織田信長に北伊勢一帯の社寺が悉く滅ぼされたが、多度神宮寺の阿弥陀如来木仏(横川源信僧都自作伝)を当山に迎え、御本尊とする |
天正12年(1585年)3月1日 | 中興開基賢智没 |
應長4年(1599年) | 2代目 玄智(賢智の長男)没 |
寛永元年(1624年) | 3代目 正珍(玄智の次男)没 |
貞享3年(1687年) | 4代目 玄惠(正珍の長男)没 |
元禄14年(1702年) | 5代目 玄説(正珍の次男)没 |
正徳4年(1715年) | 6代目 玄了(正珍の三男)没 |
元文元年(1736年) | 7代目 智哲(玄説の長男)没 |
安永2年(1774年) | 8代目 建幢(智哲の三男)没 |
安永3年(1775年) | 多度町福永伊東半太夫氏より入寺し、8代目建幢の養子となった9代目 義弁(建幢の養子)没 |
文化元年(1804年) | 11代目 諦圓(諦静の三男)住職となる |
文化9年(1813年) | 多度町福永伊東半太夫氏より入寺した義弁の実弟で、9代目義弁の養子となった10代目 諦静(義弁の実弟)没 |
文化10年(1814年) | 岐阜県海津市海津町福江栄通寺様より入寺し、11代目諦圓の養子となった12代目 洳同(諦圓の養子)没 |
文政7年(1825年) | 13代目 諦圓(諦静の三男) 没 |
嘉永2年(1849年) | 愛知県愛西市立田町寶球寺様より入寺し、13代目諦圓の養子となった14代目 琳城(諦圓の養子)、住職となる |
明治20年(1888年) | 15代目 賢城(琳城の三男)、住職となる |
明治24年(1892年) | 濃尾大地震にて、本堂・書院・庫裏・鐘楼堂等全壊する |
明治25年(1893年) | 14代目 琳城(諦圓の養子)没 |
明治31年(1899年) | 河川改修のため現在の場所に寺地移転する |
明治36年(1904年) | 現在の本堂が再建される |
昭和10年(1936年) | 15代目 賢城(琳城の三男)没 |
平成9年(1998年) | 16代目 賢秀(賢城の次男)没 |
平成17年(2005年) | 17代目 應順が三重県津市の在家より入寺、現在に至る |